日本初の南極探検隊・白瀬矗の里へ。秋田の雪は深かった。山形・秋田の旅ラスト。
>>続き>>
あちらの船は…
日本初・白瀬南極探検隊の「開南丸」の原寸大。
くじらもいます。
入口にはペンギンが!
さてここはどこでしょう。
「南極地域観測船しらせ」のスクリューブレードの1枚。でかい。
秋田県にかほ市にある「白瀬南極探検隊記念館」。
なかなかひなびた場所にあります。
コジャレた建物はやはり、黒川紀章先生のデザインでした。
そしてここでも、ちょっとウルっと来てしまいました。
最近涙腺がゆるくて、鶴岡市のカトリック教会「天主堂」のキリスト像の祭壇でもウルっとしたんだけど、この旅で2回目の涙腺解放。
日本初の南極探検にトライした白瀬矗(のぶ)は、ここ、にかほ市の金浦で生まれたそうです。
幼いときは、「狐の尻尾を折る」「可愛がってた子犬を噛み殺した狼を退治」
「千石船を素潜りで潜ろうとして死にかける」「150人と血闘」など、
相当やんちゃな人だったようだ。
「Sちゃんも少し被るとこあるよね」とMに言われたが、私はそこまで気性は激しくないです。
昔、飼ってた犬がエサをあげた私の手を噛み、血が出たので、竹棒で思いっきり脳天を殴ったぐらいです。
私は祖父・祖母の田舎にあずけられて育ったのですが、可愛がってたチャボがイタチだか野良猫にやられたときも、おじいちゃんと「ワナ」は仕掛けたけど、実際捕まえてどうすんのか?殺すのか?ってトコで、「憎いけど殺せない」って思ったり。
(白瀬も子犬の仇の狼をカマで撃退、と書いてあったが殺したとは書いてない)
3ルールどころか「5ルール」。
白瀬は、近所の蘭学者『佐々木節斎』の寺子屋に学び、節斎先生から北極の話を聞いて、幼い頃から探検家を目指していたそうですが、節斎から「探検家を目指すなら五訓を守りなさい」と言われ、その5つの戒めを生涯貫き通したんですね。
1.酒を飲まない
2.煙草を吸わない
3.茶を飲まない
4.湯を飲まない
5.寒中でも火にあたらない
さすが「探検家」。
純粋に幼い頃の夢を貫いた人なのだ。
好きだな〜こーゆー人。
千島探検や、北極点はすでにアメリカ人のピアリに制覇されてしまい、南極に切り替えるなど、紆余曲折あって、苦労して南極探検にこぎつけるわけです。
私は子供の頃に読んでいた「学研漫画ひみつシリーズ できる・できないのひみつ」、
後半に探検家の伝記があったんですが、その中に、南極を目指した3人、「アムンセン」「スコット」「白瀬矗」のマンガがあったので、概要はザックリ知ってたのですがが…
「悲劇の探検家ロバート・ファルコン・スコット」↓
世界初の南極点到達に成功したロアルト・アムンセン↓
南極1番乗りを目指し、明暗が分かれた2人です。
当時誰も南極点に到達していなかった時代。
ノルウェーのアムンセン隊と、イギリスのスコット隊は、国の威信をかけて南極探検へ。
全て国が費用を負担、装備も最新。
出資や募金を募り、それでも目的額に足りなかったが、自力で南極へ向かった白瀬とはまず、土台が違ってた。
白瀬隊の「海南丸」は、2円だかで買い取った漁船を改造したもので、それを見たアムンセン隊は驚いたという話。
国も援助してくれてないのに、その2人と肩を並べ、自力とはすごいですね。
アムンセン隊の「フラム」号↓
スコットの「テラノバ」号↓
名前もカッコよく、一番ゴージャス。
白瀬隊の「海南丸」。
名前のプレート見れば分かるけど、実際大きさが違うのです。
イギリスのロバート・ファルコン・スコットは、馬を連れて行き、最新式の自動運搬車まで投入。
しかしそれが仇になり、そこまで寒さに強くない馬は死に、最新の自動車は動かなくなり、人力でやるしかなくなった。
ノルウェーのロアルト・アムンセンは、そこら現実的だった。
さすがノルウェー出身というか。
犬ぞりで。
白瀬もカラフト犬。
結局、南極点到達一番乗りレースに勝ったのはアムンセン隊で、スコット隊が到着したときにはすでにノルウェーの旗が立っていた。
悲劇の探検家として知られるスコットは、南極点に到達したものの、失意に追い打ちをかけ、天候悪化と食料が尽き帰路で全滅。
スタート時からその結果に結びつく要因はあったんだけど、私的に、アムンセンに先を越されたというガックリ感も大きかっただろうなと。
全滅したスコット隊の遺品もあります↑
半分雪に埋もれたテントで、2人の隊員とともに息を引き取ったスコット。
手には「ブラウニングの詩集」を持ってたとか。
私は、福井県の高速道路で、台風に突っ込んだときに(よりによって山岳地帯だった)、時速30〜40キロで暴風雨の中、バイクで走行したときは、スコットの気持ちになってました。(よりによって山岳地帯で)(もちろんそんな、悪天候の中走ってるバイクはいませんでした。車も2台ぐらいでした。台風直撃するって情報を見てなかったんです)
白瀬隊は、南極点までは到達出来ませんでした。
食料が尽きたので、南緯80度5分のところに国旗を立て、「大和雪原」と名付けて引き返したんですが、全員無事に帰ったわけだし、今も地図には大和雪原と載ってるようだし、その地点まで行ったとは当時世界で4番目、自力で行ったのに、ここまで行ったんのはやはりスゴイ。
ただ、カラフト犬が…
食料を詰め込み、乗せる場所がないと言われても、白瀬は全頭連れて帰ろうとしたところ、悪天候で事故?が起こり、急いで出発しなきゃならなくなって、10頭ぐらい置いてきてしまったとかで。
白瀬はそれに心を痛め、帰ってきてから、南極探検に漕ぎつくまで犠牲になった人達と共に、「犬隊員」として、犬のことも毎日拝んでいたということです。
当時の旅券。貴重。
当時の防寒。
昔読んだ「ひみつシリーズ」は子供向けザックリなので、白瀬矗が帰って来てから多額の借金を負い、残りの半生は全国を講演して回ったり、その借金返済に追われたという話は初めて知りました。
本当に苦労したんだなぁと。
現在に換算すると、2億ほどの借金を44年かけて返した、と。
私も最近、旅での借金が多いんですが、白瀬の時代とも違うし、借金の額も白瀬とは比べ物にならないし、それを思えば、金がないことで不安になるなんて…と思った次第。
白瀬が帰って来たときは、日本中が熱狂したらしいけど、熱しやすく冷めやすいのか、晩年、近所の人は白瀬がかつての南極探検王だとも知らず、最期は弔問客も少なくひっそり息を引き取ったとか…
ここでは、4次元デジタル地球儀「タジック・アース」(全国の博物館でもあまり設置されてなくて、珍しい)とか、北極と南極のオーロラも観れます。
南極の石、私も持ち帰りたい↓
ペンギン抱っこしてる写真が可愛いです。
南極点到達の雪上車。
「機械遺産」なんてのもあるらしい。
乗れます。
南極では隕石もよく拾えるらしくて、隕石展示してたんだけど、こちらはギベオン。
この大きさ、相当な値段だろうという。
色々な隕石達。
私はナニゲに鉱物マニアでもあります。鉱物好きのパワーストーン好きでもあります。
火星からやってきたコンドライト「サハラNWA869」と、最近ロシアに落ち、UFOに破壊されたコンドライト「チェリャビンスク隕石」、鉄隕石では、「ギベオン」と「カンポ・デル・シエロ」を持ってます。
ペリドットを含む石鉄隕石、「パラサイト隕石」も欲しいけど、高いのでなかなか。
白瀬矗中尉像。
南極昭和基地の生映像。
生中継です。
隣のペンちゃん、可愛い。
お土産のペンちゃんと記念撮影。
…してたら受付の人達が、ぜひあちらの大きいペンギンと一緒に!と、奥にあった一番デカいペンギンのぬいぐるみを持って来てくれたので、擬似南極体験。
ここの記念館の方たちも、親切でハートがオープンです。
外に出たら雪が。
軽く吹雪いてて、まるで南極かという錯覚をおこしそうです。
これは、白瀬中尉が私たちに南極気分を味あわせてくれたんでしょう。
そうに違いありません。
いいかげん、帰らないとね。
一番距離的に近いルートは高速に乗らず、190kmちょっと。
「南極探検隊記念公園」は、春には桜並木が綺麗なことでしょう。
にかほ市の海沿いを走ってたら、こんなところに集落が!という。
海ギリギリに家が建ってる、小さな集落で、こんなとこにも人が住んでるんだなという、何か不思議な光景でした。
内陸部、山の方へ向かいます。
国道だけど、さすが雪が。
やはり海沿いより、内陸部の山の方が雪深いです。
スケートリンクみたいにツルツル光ってる箇所も多々あり、スピード出せないし注意深く走らなきゃなんないし。
地図を見た限りでは、そこまでクネった道はないけど、やはりスケートリンクが…
鳥海山の東側を走るルートです。
雄大な景色。
でも、スケートリンク。時間あったら鳥海高原で「スノーモービル」やろうかと思ったんだけど、この「ファンカーゴ」じゃ、道が心配だったな…
後ろの除雪車撮ったらしい。さすがに除雪車が何台も通ってました。
そして新たな発見。
このちっこい除雪車は、何と歩道用!
確かにこんな車道を人が歩いてたら、事故の元。
こちらも歩道用でしょう。
歩道用除雪車もあるとは。
あちこちで除雪作業中。
山間部の雪景色が素晴らしい。
緊張したけど。
Aさんからのお下がりのスタッドレス、FR車以上に滑るもんで。
緊張感はあったけど、ロケーションとしてはとても美しい。
また小型の除雪車がやってきた。
ヒョロッとしたタイプ。
道幅や雪量によるんだろうけど、何種類ぐらいあるのか。
また来た。続けて2台。
スケートリンクだったり、真っ白な雪道だったり。
ここに住む人達、冬場の雪かき大変でしょう。
出口とか車庫とかはきちんと除雪されてたけど。
家は雪で埋もれてて。
暗くなってきて、このとき心配だったのは県境の峠でした。
やっぱり住んでる人、大変。
個人宅用除雪機。
自力でシャベルで雪かき。
この様子だと、鳴子へ抜ける峠あたりは真っ暗になるなぁ。
雪かき休憩の人々。
まさに雪国の光景ですね。
「道の駅 清水の里 鳥海郷」に寄って帰ります。
駐車場の除雪された雪壁。
農産物はやはり少なかった。
百宅地区の「ももやけ蕎麦」がご当地もんらしいけど、そば粉より小麦粉の方が多かったんで買いませんでした。私十割蕎麦派なので…
そしてここの名物らしい松の皮を錬り込んだ「松皮餅」などを買って、サッサと出発。
またさっきとは違うタイプの除雪車が。
除雪用の輪っかが上に上がってたんで、帰り道なのかな?
マイナス6℃。
帰って来てからMが、「最高マイナス8℃だったよ!写真に撮ったし!」と言ってたんだけど、写真はマイナス6℃だよ。
雪かぶった木々が綺麗でした。
ヒイラギの仲間の杉でしょう。
天然本物クリスマス・ツリー。
ここらは雄勝から「秋の宮温泉郷」へ向かう道、そして秋田と宮城の県境へ。
ここらの自然も豊かです。春や秋なんかは絶景です。
雪で川が見えないけど、水も綺麗で。
宮城県大崎市へは81km。
秋の宮温泉郷を越えると県が変わり、鬼首へ。
鬼首温泉は日帰り入浴したぐらい。
微妙な位置にあるので、泊まるには近いし、日帰りには遠いというか、どうせならもっと先まで、みたいになってしまってあまり行ったことがないのでした。
この108号線の最後の最後の難関は、ダム沿いに走る細いクネクネした山道。
前に冬場にワンエイティで通ったことあるとはいえ、平地に止めてても滑って動かなかったりしたファンカーゴ坂を登れるだろうか、と少し心配してたんだけど、見たことのない長いトンネルに入り、ダム湖沿いの細い山道もなく…
鳴子温泉郷の明かりと橋が見えてきた。
もしかして、新道?
…と思ったら、やはり。
あとからGoogleMAPを見てみたら、やはり新しく道が出来てました。
日本全国、我々の知らないうちに、けっこう新しい道ができてます。
旧道より西側に、山を掘って作ったっぽいですね。
確かにこの道大型ダンプとかも結構通るから、ちょっと不便ではあったし、冬場は走りやすくなって良かったと思うけど。
段々雪が少なくなり、道路から雪が完全に消えました。
太平洋と日本海側のこの違い。
その後はもう全く雪がなくて。拍子抜け。
道路も普通に飛ばせるし、何て安全に走れるのかと思い、一気にストレスが減ったとともに、一抹の残念感も…
お土産です↓
なぜかキャベツを2つも買ってました。
左のキャベツは旅中に少し食べたので小さくなってる。
訳あり洋ナシ「シルバーベル」、変わった色の「カリフラワー」(他にも色があった)、
「アスパラ菜」「黒豆」「あるけっ茶」、
(山形の洋料理農家レストランのシェフと、静岡茶会社の共同開発らしい発酵茶)
「つや姫玄米コーヒー」は、山形の「産直アグリ」と「道の駅みかわ」で購入。
かなり甘かった「ミカン」と「白菜漬け」は「道の駅鳥海ふらっと」、
「焼き磯のり」は「ホテル遊楽里」で。
平成20年度醸造の「古酒」と、右のキャベツは「道の駅象潟ねむの丘」、
「松皮餅」と、県民ショーでも紹介されたらしい秋田菓子クルミ入りの「バター餅」、「蕎麦パスタ」「あわかきもち」は、最後に寄った「道の駅鳥海郷」で。
蕎麦はもちろん地元産。
Mはいつも『イイカゲン』『テキトー』なので、「松皮餅」を食べながら、「この栃餅おいしいね、なんでトチの実が入ると柔らかいんだろうね」って。
違います。栃なんて入ってません。松皮餅です!
「道の駅象潟」で、Mが魅入られて買った地元作家のイラスト集↑
こーゆー絵が好きらしい。
そして日本の「ハーブ」を贅沢に使った低料金な健康的な「お茶」と、北投石の核となる「焼山石」。
焼山石、風呂の暖まりが違います。
同じく「道の駅象潟」にかほのパワーストーン屋で仕入れた、気の巡りを良くするタイプの「天然石ブレス」。
上の「モロコシ菓子」はオマケ。「天然石8ミリ玉2つ」も景品として貰いました。
気前がいいですが…モロコシあまり好きではなくて…
下は、山形県鶴岡市「南岳寺」の「即身仏守り」。
即身仏の天龍海上人が着ていた服を切って入れたもの。
衣替えのときに切ってお守りにするとか。
即身仏がいらっしゃる寺ではそういうお守りが売られてる。
汲んできた『小林温泉水』『金峰山神社のご神水』『丸池様の湧水』と『牛渡川の湧水』鳥海温泉あぽん西浜の『鳥海源泉水』。
にかほ温泉はまなすの強烈油臭の『1号泉』も汲んできたけど、塩素入りだからお風呂にでも入れるか…
塩素入りはちょっと口に含むと舌とかがやはりビリビリする。
で、こちら、早速↓
道の駅鳥海郷で買ってきた「蕎麦パスタ」で、夕食作ったM。
肉厚なヤマシメジは、この旅の前に日帰りで行った山形の「道の駅にしかわ」で買ったもの。
肉厚で美味しかったです。
古酒「亀の尾」は、微妙でした。
Mは早々に美味しくない、と言ってたけど、古酒だけあって匂いも独特。
でも、最初は美味しくないと思ったけど、飲んでるうちに美味しいなと。
そんなタイプのポン酒でした。
<2017.1.山形・秋田旅はFin.>ですが、私たちの旅は続きます。
エンドレスです。