青森の縄文アイドル「しゃこちゃん」と出会う
無知の知を知るための冒険
ツーリングや旅に出るようになってもう24年ぐらい経ちますが、
旅をしていると、全く知らない文化や自然に触れて、いまだに感動します。
本当に私たちは普段、自分の半径数メートルの世界でしか
生きていないんだなぁってことを実感します。
そんな日々の狭い思考や行動範囲の中で、
自分の価値観を絶対だと思ったり、
自分の方が皆よりも知っていると、
うぬぼれてしまうことを日々反省しています。
「無知の知」とはよく言ったものです。
本当に賢い人とは、自分の無知を知っている人だとつくづく思います。
この世界は広いです。何も知らなくて当然です。
だから冒険に出るんです。
生きるということ、人生自体が冒険ですね。
縄文時代のアイドル「しゃこちゃん」
前の記事で、青森の衝撃のキモいご神体「石神神社」の石神様
(グレイ、ゼータ・レティクル人風貌)の紹介をしたので、今回も青森ネタで。
青森には本当に面白いスポットが沢山あるんですが、
とりあえずメジャーどころで、縄文の遮光式土偶「しゃこちゃん」のご紹介。
つがる市のJR木造駅は、17メートルの巨大しゃこちゃんがいることで、
鉄道マニアには人気らしいです。
昔は電車が入ると目が光っいてたそうですが、
今は子どもが怖がるからと自粛してるそうです。
でも駅員さんに言えば、目を光らせてくれるということで(手動らしい)
頼んでみました。
しかし、朝イチなので明るくて目が光ってるのが分からない。しかも逆光。
暗くなってからじゃないと見えないそうです。
駅構内のしゃこちゃん
どのくらいの大きさかというと。
夕方6時までに来ればまた光らせてくれるというので、
(木造駅は18時で終了)
津軽半島の先端「竜飛崎」まで行った帰りに、再び寄ることにしました。
竜飛崎の荒涼とした美しさ。
竜泊ラインは車の気配がなく、少し怖かったです。
「青函トンネル記念館」など竜飛崎観光したあと、
日が暮れかかっていたので、木造駅まですっ飛ばしました。
見事に目が光ってます。
(いらっしゃいビームと呼ぶそうです)
ちょっと不気味ですね。
子どもが泣くのも無理ないかもしれません。
しばら〜くバチバチと「いらっしゃいビーム」を点滅させます。
昭和のウルトラマンを思い出しました。
「円谷プロ」の特撮怪獣のようです。
あちこちに「しゃこちゃん」がいます。
竹下登総理時代のふるさと事業とやらで、
自治体に多額のお金が降りたことがあったらしく、
木造町はそれをあぶく銭とはせず、
こうしてひたすら「遮光式土偶」での町おこしをはかったということです。
実直にしゃこちゃんオンリーで色々作った、
木造の人たちの気質が伝わりますね。
マンホールも何もかも。
つがる市役所隣の食堂「華かるこ」では、
「縄文しゃこちゃん弁当」もあります。(2日前まで要予約)
木造町の情報発信基地街の駅「あるびょん」。
後光が射してます。
「あるびょん」には、しゃこちゃんグッズがたくさん。
しゃこちゃんどら焼き通称「しゃこどら」
しゃこせん
物販、商品展開がなにげにスゴイですね。
カワイイんだけど、Tシャツとかどこで着るのか…
地域のこーゆー頑張ってる感じを見てると、
応援したくなっちゃうんですよね。
私は浮かれて、しゃこどら、しゃこせん、しゃこちゃんタオルを買ってしまいました。
まだあります。
木造の老舗の洋菓子店「たいま」。
警察に目をつけられそうな名前ですが…
こちらでは、地元女子高生とのコラボ「しゃこちゃんケーキ」が売られています。
店のポスター?
偶然ガラスに写り込んだ青空と、
木造駅の巨大しゃこモニュメントにケーキが並んだだけのシンプルなポスターが重なり、
まったり雄大な縄文時代の光景が目に浮かびませんか?
私は木造町の洋菓子店「たいま」で、悠久の時を感じました。
私は、遮光式土偶ってすごいと思うんです。
このデザインが。
岡本太郎画伯が「縄文こそ真の日本文化だ」みたいなことを言ってたそうですが、
確かに、生(なま・き)のエネルギーなんですね。
全然合理的じゃない、生命力の源。
こんなデザイン、なかなか思いつくもんじゃありません。
現代では枯渇してしまった感性です。
まさにゆるゆるした癒し系。
私は、しゃこちゃんこそ真のご当地キャラだと思っています。
そんな縄文文化のプリミティブなパワーを秘めた、
そんなしゃこちゃんは、
木造の亀ヶ岡遺跡から発掘されたわけですが、
亀ヶ岡遺跡の発掘物は、すでに江戸時代から「亀ヶ岡物」として知られており、
昔から好事家に人気だったようで、
何せ保護されてたわけでもなく、
あの有名な遮光式土偶も、一般人の方が所有していたところを、
東京国立博物館が買い取っているので、
本物のしゃこちゃんはここにはいません。
東京に出張中です。
本物と会いたければ上野へGO!
旅の楽しみ方は1つだけじゃない!旅で得られることとは?
むか〜し、友人に見せるため、
マンガ形式で描いた「旅日記」の一部です↓
蚊の大群に襲われ、一睡もできなかった上、友人は朝方尼さんに怒られていた。
旅の利点について書こうと思います。
旅の利点
- 視野が広がる
- 自立心が養われる
- 普段あまり使われていない五感をフルに使うことで、第六感も冴えてくる
- 自分の可能性が広がる
視野が広がる
これは劇的に広がります。
海外生活経験者の方もそうですが、システムや国民性の違う国で、
違う人種の人たちと交流することで視野が広くなり、
グローバルな活動をしているように。
また、自分とは違った意見や考え方も
受け入れる度量を持てるようになりますね。
日本は島国なので視野が狭くなりがち、
違った意見も受け入れ難く、考え方も固定されていると思いますが、
そんな日本でも地域地域によって、やはり違いはあります。
西の方の風景は色が鮮やかだし、北の方はグレーがかっているとか、
そういった風土の違いも、そこに住む人たちの性格に影響していたり。
外の世界に出ないと、
自分が普段関わる人としか関わらないわけですから、
自分が正しいというふうになりがちです。
今はインターネットもありますが、TVでの疑似体験にしろ、
実際に「体験する」ということが大切だと思います。
そうじゃないと、頭デッカチになって
知識だけ振りまくようになってしまいますから。
自立心
私はバイクで旅をすることが多いんですが、
トラブルはよくありました。
自分はけっこうズボラな人間なので、綿密な計画も立てません。
結果、すっかり日が暮れてしまい真っ暗闇の山道や、
標高1000mの山岳路を野生動物の光る目に怯えながら走ったとか、
墨をぶちまけたかのような暗さでした。
道に迷って半日無駄にしたとか、
コケてバイクの冷却液ホースを切ってしまったとか、
泊まる場所がなくて野宿せざるを得なかったとか、
高速道路で台風に突入したとか、
(今は旅慣れしたので泣きそうな目に遭うことはそこまでないですが)
恐怖や不安におののいた体験は数知れず。
視界最悪な高原道路も
でもバイクを壊したからといって、バイクを放置するわけにもいきません。
普段なら「お前のせいだー!」と言ってゴマせるところも、
旅では誰のせいにもできません。
何があっても最低限、とりあえずその日の最終目的地である
「宿」に辿り着かないとないんです。
「自力」で。
四国ではなぜか修行モードに
しまいにはこんな感じ
観光情報誌にはよく「おすすめモデルコース」というのがあって、
この通り回れば1日で回れますよ、というモデルコースが載ってますよね。
バイク旅に備えて「ツーリング・マニュアル」とか出てます。
確かにそれに沿って行動すれば、計画通りいくでしょう。
それなら万事安心かもしれません。
でもマニュアルはマニュアルです。
旅は自力です。
人生も自力です。
旅に出れば、計画通りにいかないことが出てきて当然です。
そして旅の計画というのは、自分が頭をひねって考えるから、
実際行ったときの感動が段違いなんです。
旅をしていると、「自分のした行動が全部自分に返ってくる」
ということがリアルに分かります。
(例・ダラダラしてて夜中も走らざるを得なくなった)
そして自分でしでかしたことは自分でなんとかしなきゃないので、
絶対その責任を取ることになります。
普段の生活では、そういった自己責任を無視しても、ある程度生活はできます。
旅では人のせいにはできません。
自分がやるしかないのです。
旅では「想定外」なことが起こって当たり前。
自分が「正しい」と思っている常識も通用しません。
その場その場で臨機応変に対処しなきゃなりません。
こうやればこうなるだろう、という普段の自分の左脳的思考は打ち砕かれます。
それを越えて初めて、心が震えるような体験ができるのです。
想定外な出来事の例:
普通の国道だと思っていたのに、とんでもない砂利道に突入
とんでもない道に入ってしまったと後悔(今はタバコをやめました)
たかが数十キロなのに悪路に苦戦。休みながら途方に暮れる。
五感がフル活動
これは私の場合、風も匂いも景色も感じられるという、
五感を使って走るバイクという特性もありますが、
いつも暮らしている場所とは違う場所に行き、
違う人々や文化に触れ、自然との一体感を感じることは、
五感を開かせてくれます。
普段よりセンシティブになるということです。
だから感情が動き、感動が生まれます。
感受性が極まれば、第六感=インスピレーションとか=が開くんですね。
左脳と右脳のバランスとよく言われますが、
現代の左脳社会では、多くの人が左脳的に暮らしています。
要するに理屈優先になりがちだということ。
それは断定的で、窮屈な社会にもつながります。
だからもっと右脳を使った方がいいとよく言われますが、
閉じている右脳的な部分が、大きく開かれるのも旅の醍醐味です。
京都丹後の秘境・天岩戸神社
そんなこんなで、旅をしていると自立心が養われ、
感覚が開き、色々気づくこともあって、
自分の新たな可能性にも気づいたりするんです。
人は誰でも何かしら「カテゴライズ」された世界に属しています。
ずっと同じカテゴリーの世界で生きる人も多いです。
同じ日常、同じ顔ぶれ、家に帰ってきてTV…
自分の望むたった1つのカテゴリーの枠の中で生きる、
同じことを続けるのは居心地がよくて楽ですが、
つまらなくないですか?
今成功学が流行っていますが、
成功している人というのは、同じカテゴリーだけに留まらないんですよね。
自分とは違うカテゴリーの世界を体験しようとします。
人には「知りたい」という欲求があるんですが、
同じカテゴリーに属し、周りに合わせ、
同じことを繰り返す日々だけでは、
人間らしい興味や好奇心を失い、いつしかロボットのように、
自分の意見、考えというものがなくなっていきます。
そして外の世界で何が起こってても無関心になってしまいます。
旅をすると自分の狭い枠から出ざるを得ません。
自分の知らない世界に入っていくと、
自分の小ささや狭さを思い知らされます。
それはある意味、楽な生き方の安全を脅かす行為ですが、
それが「ワクワクする気持ち」「情熱」につながるんです。
安心安全を第一優先にした生活は、無気力、無関心、情熱の欠如を生み出します。
普段の当たり前な「枠」から出なければ、
自分の可能性という宝には気づけません。
でもそれって、旅に出なくても普段からできることなんですよね。
実は隣の人が、自分の全然知らないジャンルを知ってるから話を聞いてみようとか、
今まで興味なかったけど、ちょっと調べてみようとか。
日常から「冒険」は始まっているんですね。
宇宙人か??驚くべきモノが眠る青森
去年の秋に行った、青森旅のエピソードを。
旅に行くと、時々衝撃的なモノに出会います。
旅行情報誌やネットの観光サイトには絶対に載らないような、
超穴場というか。
青森には「キリストの墓」がある新郷村や、
(観光物産店の名前は『キリストっぷ』)
巨大な遮光式土偶のモニュメント「しゃこちゃん」がへばりついて建つ、
JR木造駅など、怪しげなミステリアスでユニークなスポットが数多くあるのですが、
(そのうち紹介したいと思います)
最近の衝撃は、ほとんど無名のとある神社でした。
私はしばらく北東北には行かず、南の方ばかり旅をしていたのですが、
秋田の「玉川温泉」に自炊湯治したのをキッカケに、
青森方面に足をのばすようになりました。
玉川温泉「大噴」。珍しい「トロン」が放出されています。
それで紅葉の時季に青森まで行ってみようと思い、
どこに行こうか色々ググってたときに、
目に飛び込んできたのが、とある神社のご神体。
私は見た瞬間「これは悪いモノが憑いてるに違いない」と即却下したのですが、
一緒に行く友人は「行きたい!」と、スゴいノリ気で。
何かネガテイヴなモンに騙されてる気もしたのですが、
好奇心の方が勝り、バイクで友人と2人で行ってみました。
場所は青森市の入内地区にあります。
青森インターチェンジを出て、ナビを頼りに入内に向かい、
のどかな寒村を通り、一本道を奥の奥まで行きます。
(ナビは途中で終了してしまいます)
すると舗装路が終わり、林道の分岐に出るので、
その分岐を左側へ、林道を4キロほど進みます。
私たちは歩いて行きました。
途中小さな神社があり、そこを下っていくと、
何と滝が!
普通だったら観光地化されててもおかしくない滝です。
さすがは青森。
近くには「史跡 小牧野遺跡」というのがあるようですが、
そちらもあまり宣伝していないようで。
この滝はそれなりに絶景なのですが、地元の人しか知らないような感じです。
人があまり押しかけないからでしょうか、やたら清浄な感じでした。
そのまま進んでいくと目的地である「神社」があります。
渓流が綺麗で、あの滝といい、ここは水が綺麗です。
「ご神水」を汲む場所もあります。
そして鳥居をくぐり、
石段を登っていきます。
冬場は来れないそうです。
そして
衝撃のご神体!!
その容貌は、まさしく宇宙人グレイ(ゼータ・レティクル人→
この手の話が嫌いな人は飛ばしてください)そのもの。
ネットで見つけた瞬間そのあまりのグロさに、
「これは神じゃないだろう、何か悪いもんに騙されてる」と思った、
「石神神社」の 石神様!
でも現地でよくよく見てみると、さほどグロくはなく。
周りの綺麗な紅葉の山々や渓流などをながめながら歩いてきたからでしょうか、
清々しい気分になりました。
青森は縄文文化の土地ですが、
大らかさでドッシリした雰囲気も感じます。
この石神神社の石神様の由緒は・・・
「石神様を発見したのは、眼病を患っていた長内弥十朗という杣人。
『山にある清水で目を洗うと眼病が治る』という不思議な夢を見た翌日、
普段通り山に入った弥十朗は、夢とまったく同じ風景の場所に出て、
石神様を発見する。
石神様の右目の窪みには水が溜まっており、
その水で目を洗ったら、夢と同じようにたちまち眼病が治ってしまった。
以後、石神様は眼病に霊験あらたかであるという信仰が広がった。
しかし明治初年、神仏混淆禁止のとき、
神社の形体が未整備の理由から信仰を禁止させられた。
霊泉を求める人が多く祈祷所を願い出たが、
県庁から「愚民を惑わす妖言」として不許可になった。
そして石神様を破壊する石工が派遣されてきた。
ところが、いざ破壊しようとすると石工の手足がしびれたり、
氷雨が降るなどの怪異が頻発したため、
破壊は中止されてしまった。
その後、明治38年に「石神神社」は再び神社として認められ、
今日に至っている」
手足が痺れただけで、ラッキーだと思った。
それにしても…
そして、またゆっくり戻ってきたんですが、
何事も怖がってはいけないと心から思いましたね。
ネット画像で最初に石神様を見たとき、
私は正直「怖い」という感情が少なからず出ました。
さらにそこに行くまでの林道がとんでもない悪路という情報があって、
(結果的には普通の林道でした。大型バイクでも行けたかなと)
行くかどうしようか、さんざん迷ったのですが。
人は常に色んな不安や恐怖を持ちます。
お金が心配とか、老後が心配とか、病気になったときのために保険だとか、
世の中ではこんな事件・事故が起こってるから怖い等々、
全ては起こってもいない自分の妄想なのですが、
そこにとらわれてしまうんです。
「実は成功するのが怖い」という人も多いです。
不安や恐怖が出ると、人はそれを回避しようとします。
そしてその先にあるワクワクを掴み損ねてしまうんですね。
実は「恐怖」って大したことがない。
旅では予想不可能な経験をたくさんして、
いつも自分の「枠」を壊されてしまうんですが、
この石神様の旅では、そんなことを学んだ気がしました〜
石神神社を出発したあとの走行中の写真を撮ったら、
変な感じに写っていたので、
「空間が歪んでいる!きっと異次元へのポータルに違いない!
さすが青森、石神神社!」と後から一人で興奮しました。
楽しければいいのです。
そしてその日は「道の駅なみおか アップルヒル」で夕食を買い、
津軽市の「屏風山温泉」に泊まりました。
屏風山温泉は、100%源泉かけ流しの上、
宿泊すると、全室「部屋風呂付き」という、
かなりデラックスな温泉宿です。
部屋風呂付き低料金デラックス温泉は他にもいくつかあり、
これも青森の凄いところです。
伊豆や熱海なら一泊いくらするのか。
部屋風呂。
部屋に入ると、蛇口が開けっ放しで、すごい勢いでかけ流しになっていました。
部屋風呂が、かけ流しです。
ありえません。
大浴場
素泊りだったので、道の駅で買った夕食。
買いすぎですね。
道の駅の産直で買った野菜はサラダにしました。
「道の駅なみおか アップルヒル」は大きめな道の駅で、
手作り豆腐を使った店など様々あって、青森に行くときは外せない道の駅です。
初めて投稿します。
旅に出ること
私は毎年色んな場所へ行ってます。
多分千葉の房総半島と沖縄抜かしたら、だいたいは回ってると思います。
(細かいとこは除く)
昔は電車で行ったり、バイクで行ったり、
そしてただガイドブックを見て(今はネットですね)
一泊二食付きで温泉入って観光地見て、満足してました。
でも今はそれじゃ物足りない。
GWの須走口富士山五合目
「いい年して」なんですが、冒険し続けたいんですね。
そしてガイドブックやメジャーな観光地に飽きてくると、
マニアックな場所に行きたくなってきます。
若い頃は「神社仏閣なんて年寄りの行くとこ」とか思って、
修学旅行なんて京都新京極の喫茶店(昔ですので)でサボってたのに、
そういう場所にも惹かれるようになりました。
いわゆる「聖地」ってやつです。
でも最近流行ってる「パワースポット」も何だか違うなと思います。
皆と同じ、ただそこに行って、何を得たいのでしょう。
その聖地にたどり着く過程で、旅の苦労などがともなうからこそ、
目的地に着いたときえらく感動するもんですし。
便利になりすぎると、感動は薄れます。感受性も鈍ります。
私も昔は「温泉には露天風呂があればいい!」って感じだったんですが今は、
「源泉掛け流し100%(もちろん塩素消毒もなし)じゃなきゃイヤ」
になってしまいました。
長野県大塩温泉
しかもほとんどが素泊りor自炊です。
その方が、バブリーな時代の名残りであろう、
夕食も朝食も大量な宿の食事で、具合悪くなったりしないからです。
自炊設備がある温泉宿で(そういう宿は本物です)、
自分で料理すれば安心だし、素泊りならその近くの道の駅で、
地場産の食材や、地元の方たちの作る無添加の弁当などが買えて、
その土地を心から感じられるので、とても楽しいです。
昔は見かけが派手なら良かったのですが、今は何でも中身が重要になりました。
夏はバイクで旅をしてるんですが、
絶景の道を走って、名物食べて、温泉に入る、という定番コースも、
自分ではちょっと違う感じになってきたんですね。
多分何事も突き詰めていくと、
人とは違う自分の道があるんだなと思うし、
自分が本当に求めていることにも気づけるんだと思います。
それは人それぞれに違い、誰も「同じ」ではないのですが、
「旅行」もある意味画一化されてしまってて、
個性的な旅行ってなかなかできないですよね。
私は自分のペースや行きたいとこが人と違うので、
団体旅行が苦手なんです。
そういう風に、自分の眠っている個性などに気づいていくのも旅の醍醐味です。
マニュアルから離れた旅をしたいと思ったら、プチ冒険してみませんか?
道の駅の戦利品。左側の果物は幻の“ポポー”と言われるもの。
昔から私は計画性がないというか、上手くなくて、
道に迷ったり(今はナビがあるからいいですが)、
ダラダラしてて真っ暗になり暗い山の中を走ったり、
国道だと思ってたらとんでもない道だったり、
ヒヤっとした経験も数知れず。
でもそれも全てワクワクした経験のうち。
不安などから行動を狭くしてしまうのは、もったいないです。
そのときは安心なんですが、心に残るほどの体験にはなりません。
それは日常でもそうなんですが。
人生はやったもん勝ちですね。
ガスマスクつけて某山の火口の温泉(かなりヌルい)に浸かったりも
そんなわけで
このブログは一応、旅メインで書こうと思ってますが、
私自身は音楽をやっていて映画も好き、食や健康も追求したり、
興味が色々とありますので、よろしくお願いします。